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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)2769号 判決

原告

高木妙子

右訴訟代理人

中本源太郎

下林秀人

被告

田沼昭三郎

右訴訟代理人

長谷一雄

宮里邦雄

主文

一  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、且つ、昭和五八年二月三日から明渡済みまで一か月金一九万八〇〇〇円の割合による金員を支払え。

二  被告は原告に対し、金七二万円及びこれに対する昭和五七年一二月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、金銭の支払に関する部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡し、且つ、昭和五八年二月三日から明渡済みまで一か月金一九万八〇〇〇円の割合による金員を支払え。

2  被告は原告に対し、金七九万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年一二月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  賃貸借契約

(一) 原告は、昭和三二年一二月一九日被告に対し、別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という)の一部を貸し渡し、昭和五三年三月二〇日左の約定で本件建物の賃貸借の更新をした。

(1) 期間

昭和五七年一二月一八日までの五年間

(2) 賃料

月額八万円とし、毎月末日までに翌月分を持参支払う。

(3) 用途

中華そば屋店舗及び居宅

(4) 保証金

被告は、金六四万円を保証金として差入れるものとし、保証金は年二〇パーセントの割合で償却する。契約期間満了による更新時には、あらためて新賃料の八か月分相当額の保証金を差入れることとし、償却率は前同様年二〇パーセントとする。

(5) 損害金

被告が賃料の支払いを怠り、又は契約に違反したため本契約が解除された時は、被告は、使用損害金として明渡済みまで賃料の二倍に相当する金額を支払う。

(二) 原告と被告は、昭和五五年一一月分の賃料から、月額九万円と改定した。

2  被告の契約違反

(一) 本件賃貸借契約は、昭和五七年一二月一八日をもつて期間満了となり、法定更新された。

(二) 原告は被告に対し、昭和五七年一二月一八日以来四回に亘り本件賃貸借契約に基づく新たな保証金の差入れと賃料の増額(月額一一万円とする)を求めた。

(三) 右賃料の改定について、同年一二月二五日の第三回目の協議において被告は一割(金九〇〇〇円)の増額に応じ昭和五八年一月分から月額九万九〇〇〇円に改定する旨合意した。

(四) 被告は、右協議に際し、原告が代理人として派遣した訴外前田武彦(株式会社前田不動産代表者)において穏便に話し合いを進めているのに、商店街側入口ドアを開け放つて一人で大声で怒鳴り散らし、何の理由もなく警察に通報してパトカーを呼びつけ、挙句には右前田を「馬鹿野郎」などと罵倒し、塩を撒いて追い返すなどの異常な行動をとつた。

これは、円満な契約関係継続のため誠意をもつて協議しようとする原告を著しく侮辱するものであり、許しがたい背信行為である。

(五) 原告は被告に対し、昭和五七年一二月二九日、前記保証金の支払をあらためて文書を催告した。

(六) 被告は、同年同月三〇日、保証金の支払拒否の意向を明らかにするとともに、賃料の値上についてもすでに成立した前記合意を翻えし、賃料値上相当分の支払をする意思のないことを回答してきた。

3  契約解除

原告は被告に対し、昭和五八年二月二日到達の内容証明郵便で、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

よつて、原告は被告に対し、本件建物の明渡と昭和五八年二月三日から明渡済みまで契約所定一か月金一九万八〇〇〇円の割合による使用相当損害金の支払並びに契約所定め保証金七九万二〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年一二月一九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実について

(一) (一)認める。

(二) (二)は認める。ただし、被告には保証金支払義務は存しない。すなわち、右保証金支払約定文言は「充当」となつているにすぎず、右約定は法定更新の場合を予想せず、新賃料が決定されていない段階では具体的な保証金の支払請求権は発生しないからである。

(三) (三)は否認する。

(四) (四)のうち、原告が右協議に際し、代理人として前田武彦を派遣したこと、被告の関係者がパトカーを呼んだことは認め、その余は否認する。

(五) (五)は認める。

(六) (六)のうち、賃料値上の合意があつたとする点を否認し、その余は認める。

3  請求原因3の事実は認める。

三  抗弁

1  借家法六条違反

本件賃貸借契約の保証金の性格は、賃料の補充であり、右性格からすると、新賃料の八か月分もの高額の保証金支払を定める条項は、借主たる被告に不利な特約であり、借家法六条に違反し無効である。

2  供託

(一) 被告は、昭和五七年一二月二三日、一二月分の賃料金九万円を持参したが原告の受領拒否にあつた。

(二) そこで、被告は、昭和五七年一二月二四日、同年一二月分の賃料九万円を供託し、その後も供託をしつづけている。もつとも被告はその後九万九〇〇〇円の家賃を供託している。

(三) 従つて、供託は適法であり、被告の賃料不払は存しない。

3  信義則違反

(一) 被告は、昭和五七年一二月の交渉中、保証金の支払について二か月分程度支払う旨提案し、被告の窮状を訴えて理解を求めてきた。

(二) 右保証金は、以下の本件賃貸借の経過の中で生まれてきた。すなわち、被告は原告に対し昭和三二年当時、その時代の貨幣価値としては高額な金五五万円を権利金として支払い、昭和四一年賃貸借目的物の拡張(一〇坪から現在の三二坪へ)の際、金三〇〇万円を権利金として支払い、昭和五三年三月更新の際、保証金条項となつた。

(三) 以上の事実に鑑みれば、原告の解除の意思表示は信義誠実の原則に反し許されない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。保証金の性格は低額賃料の補充と営業利益の対価である。

2  抗弁2の事実は認める。

3  抗弁3の事実について、(一)のうち、二か月分程度支払う旨提案したことは認めるが、その余は否認する。(二)、(三)は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因について

1  請求原因1(賃貸借契約)の事実については、当事者間に争いがない。

2  請求原因2(被告の契約違反)について

(一)  請求原因2の(一)(法定更新)の事実については、当事者間に争いがない。

(二)  請求原因2の(二)(保証金と賃料増額請求)の事実については、当事者間に争いがない。そこで保証金の支払義務につき判断する。前記のとおり、請求原因1(一)(4)の保証金条項の存在については、当事者間に争いがなく、それによれば、「更新時」に保証金を「差入れる」こととなつており、そこにいう「新賃料」とは、更新後の賃料、すなわち法定更新では借家法二条一項にいう「前賃貸借ト同一ノ条件」である従前の賃料ということになる。従つて、保証金支払義務が存在すると認められる(その支払義務の効力については後述する。)。

(三)  請求原因2の(三)(賃料値上合意)の事実について判断する。

〈証拠〉によれば右事実が認められる。被告本人は保証金を二、三か月分にしたら一割アップでもよいという条件をつけて承諾した旨供述するが、にわかに信用することができない。

(四)  請求原因2の(四)(被告の訴外前田武彦に対する異常行動)の事実について

原告が代理人として前田武彦を派遣したこと、被告の関係者がパトカーを呼んだ事実については当事者間に争いがなく、前掲甲第四号証、証人高木逸男の証言及び被告本人尋問の結果によれば前田武彦が夜間交渉に行つた際に、被告の妻が前田の言動をおそれパトカーを呼んだこと、被告の客が塩をまいたことが認められる。右事実のみから直ちに背信行為があつたとすることはできない。

(五)  請求原因2の(五)(保証金の催告)及び同2の(六)(原告の回答)の各事実は、賃料値上の合意があつたことを除き当事者間に争いがなく、賃料値上の合意があつたことは前記のとおりである。

3  請求原因3(解除の意思表示)の事実は、当事者間に争いがない。

二抗弁1(借家法六条違反)の事実について

〈証拠〉を総合すれば、本件賃料が低額であること、本件建物は飲食店舗であり被告が本件建物によつて営業利益を収めていること、本件建物の立地条件が商店街に位置し、居住用建物の側面はあるものの主体は収益用建物であることが認められ、右事実によれば保証金は低額賃料の補充及び営業利益の対価たる性格をも有するものと認められる。

以上によれば保証金が高額であり、借主たる被告に不利な特約とは認められないから、抗弁1は理由がない。

三抗弁2(供託)の事実について

1  抗弁2(供託)の事実は当事者間に争いがない。

四抗弁3(信義則違反)の事実について

被告が二か月分程度支払う旨提案した事実は当事者間に争いがなく、被告本人尋問の結果によれば被告が原告に対し、昭和三二年に金五五万円、昭和四一年賃貸借目的物の拡張の際に金三〇〇万円を権利金として支払つた事実が認められるが、他に解除の意思表示が信義則に反すると認められる事情は存しないから、抗弁3は、理由がない。

五結論

以上によれば、被告は約定の保証金支払義務を負つているにもかかわらず右保証金の支払をしていないことが認められ、右保証金は低額賃料の補充及び営業利益の対価という性格を有するので、本件保証金の支払は、賃料支払と同様、更新後の本件賃貸借契約の重要な要素として組み込まれ、その賃貸借契約の当事者の信頼関係を維持する基盤をなしているものというべきであるから、その不払は右基盤を失わせる著しい背信行為として本件賃貸借契約それ自体の解除原因となりうるものと解するのが相当である。そして、本件において、原告に対する信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事情があるとは認められない。

よって、本件賃貸借契約の解除は認められ、本件建物の明渡並びに、賃料月額九万九〇〇〇円を基準とする昭和五八年二月三日から明渡済みまでの約定損害金一か月金一九万八〇〇〇円と、約定保証金七二万円及びこれに対する支払期の翌日である昭和五七年一二月二〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して(なお、家屋明渡部分の仮執行宣言は相当でないのでこれを付さない。)主文のとおり判決する。

(村重慶一)

物件目録

東京都北区十条仲原二丁目七番地所在

木造トタン葺二階建店舗兼居宅

床面積 一、二階合計158.67平方メートル

(但し、未登記建物)

のうち、南側部分105.6平方メートル

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